以下は昭和51年4月に建立された「谷ケ共有山百年の碑」の碑文
 谷ケ共有山百年の碑
明治初年小田原藩領約参百五拾町歩を谷ケ
村共有山として拂ひ下げを受け 村民の生活
基盤として多大の貢献をし 大正拾貮年 地
方制度改正により 谷ケ信用利用販賣購買組
合を設立 昭和拾六年まで林道の開設 公共
施設の建設等が進められた 昭和拾九年 時
代の変革と行政指導により やむなく四拾四
名に記名登記した その後植林事業が促進さ
れ 昭和四拾年までに退ヶ沢 鳥手山 その
他に約百町歩の植付を完成 林道の改修 部
落共同施設への助成等 地域発展にも寄與し
昭和参拾七年 森林開発公團と分収契約 梨
子沢 大河原地内に百町歩 昭和四拾七年
神奈川県造林公社と分収契約をし 退ヶ沢
ヌタ地内に参拾五町歩植林の完成をみたので
ある 植林地及び諸施設維持管理のため  昭
和四拾九年 辰ヶ沢地内約七拾町歩に 碎石
場を誘致 共有山発展の基礎が確立された
 この百年の変動期に遺訓を守り 諸事業に
盡力された諸先輩に感謝するとともに その
功績を後世に遺すためこの碑を建立する
 昭和五拾壱年四月吉日 谷ケ共有一同

18XX年(明治初年) 小田原藩より350町歩を谷ケ村共有山として払い下げられる。
1889年(明治22年) 大河原広場に『武尾梅吉積徳之地』建立。
1923年(大正12年) 谷ケ信用利用販賣購買組合を設立。
1944年(昭和19年) 44名で記名登記。
1962年(昭和37年) 森林開発公團と分収契約。
1972年(昭和47年) 神奈川県造林公社と分収契約。
1974年(昭和49年) 辰ヶ沢地内約約七拾町歩に砕石工場を誘致(二ノ倉開発様)。
1976年(昭和51年) 大河原広場に『共有山百年之碑』建立。
2024年(令和6年) 一般社団法人 谷ケ共有地管理組合設立。